切通坂 (港区芝公園)
東京タワーに向かって上る永井坂は江戸時代は坂上で北に折れて芝御成門方面へと繋がっていた。 その辺りは今、東京プリンスホテルや慈恵医大などが立ち並ぶエリアだが、御成門駅や愛宕警察署辺りから古川(現首都高下)まではほぼ増上寺のエリアだった。当時坂上からは、いくつも並ぶ大きな寺院の屋根が見えただろう。
増上寺近辺の寺の中でも最も大きい部類に入る青松寺あたりが本来の坂下だったが、そこには今愛宕グリーンヒルズMORIタワー(42階建)が立っている。上部が緩やかに細くなっていてサーフボードを4面に張り付けたような形のビルである。 切通坂周辺は江戸時代はほぼ完全な寺町で、右も左も後ろも前も寺という場所だった。 今は正則高校の校舎の前をクランク風に上っていく。
切通坂は増上寺境内と青松寺の間にあった道で、江戸時代は切通しになっていた。寛永年間(1624~1644)に開かれ、途中に時の鐘があった。 またこの道沿いには見世物や、浄瑠璃の芝居小屋、古着屋などが並び、賑やかな通りだったようだ。
正則高校の先で変形の丁字路。 その先に小さな公園がある。 「手まり坂緑地」という公園である。 切通坂の別名は手まり坂という。 その公園の隣がオランダ大使館で、上の写真で樹木に覆われた庭の奥に大使館がある。 江戸時代末期にここに引っ越してきたのが沼津藩主水野出羽守。水野家は本来尾張の出、その後江戸時代には徳川に仕えてきた家系。 ここから切通坂はまたクランクして上っていき、永井坂に出合う。
切通坂の坂上には芝給水所公園がある。 公園の脇にはたくさんの水道遺構がある。歴史についてのレリーフがあり次のように彫られている。「芝給水所は芝増上寺北西部の高台に位置し、信濃小諸藩主牧野遠江守の屋敷跡地に芝給水工場として明治29年(1896)に竣工、明治31年に淀橋浄水場から浄水を受け給水を開始した。(後略)」 関東大震災にも耐え、東京の街に水道を供給してきた煉瓦造りの遺構は区によって保存されている。
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