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2017年6月12日 (月)

闇坂(くらやみざか)

戒行寺坂の坂上南側に西應寺がある。 ここには幕末から明治にかけて剣客として有名な榊原健吉の墓がある。最後の剣客と呼ばれた人物だ。また西應寺の梵鐘は銅製で江戸中期の名工芸品である。西應寺の隣りが永心寺。その脇を下るのが闇坂である。

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路地は車は通れない道幅。 入口脇に標柱がある。「この坂の左右にある松巌寺と永心寺の樹木が茂り、薄暗い坂であったため、こう呼ばれたという。」と記されている。坂の傾斜がきつくなるところから鉄製の手すりがついている。ほぼまっすぐな坂道だが、その細さと辺りの景色は江戸情緒を忍ばせている。

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別名乞食坂。 寺町には物乞いの乞食が多くその為だっただろう。またもうひとつの別名茶の木坂は坂下の谷の源頭に明治初期まで茶畑があったからだろう。坂下の一角には池があり、おそらく湧水がたまっていたと推測できる。その西側は崖のようになっていて、その斜面が茶畑だった。

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今、坂下は若葉公園という小さな公園になっている。公園南側のガラスのビルは聖教新聞本社である。 若葉公園の場所は明治36年(1903)に東京市による特殊学校が開かれた場所。 鮫橋尋常小学校という名で、専ら貧困者の子弟を教育していた。 教科目は小学校程度にして4学年とし、学用品は支給、校内には浴場を設置し、毎週1回児童に入浴させ、かつ理髪を行い、疫病治療などの医療も行ったという記録がある。生徒数は343人。 この谷町には今では想像もできないような貧困家庭の大集団があった、ある意味東京の裏の一面が明治末期には存在したのだろう。

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