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2017年6月16日 (金)

須賀神社男坂・女坂

文化放送のあった東福院坂は甲州街道から須賀神社へ参拝する参道である。 東福院坂の坂上から眼下に須賀神社の49段の急峻な階段が現れる。 文化放送側のほうが標高は高いように見える。いったん鮫河橋谷町筋に下り、男坂なる階段を上る。

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須賀神社は別名天王社と呼ばれ、江戸時代の切絵図には稲荷山宝蔵院天王社と記されている。須賀神社のホームページには、「今の須賀神社はもと稲荷神社だった。その稲荷神社は往古より、今の赤坂一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後の寛永11年(1634)に江戸城外堀普請のため、当地を替地として拝領し移った。」とある。 江戸以前はこの辺りはやはり原野の沢筋だったと思われる。

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社殿の赤鳥居の近くには女坂の階段がある。 踊り場が広く、傾斜が緩やかである。 須賀神社は三十六歌仙の絵で有名。平安時代中期の藤原公任の選定に由来する三十六歌仙の絵が奉納されているが、描かれたのは江戸末期。

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女坂を下るとそこは崖下の寺、妙行寺と墓地。 そこから見上げると須賀神社のある台地はまるで城壁のように見える。いくつか出っ張っている石が何なのか興味がわいた。調べてみたがわからない。何故この出っ張りを作る必要があったのだろうか。 ここに縄でもかけて下るためか。 謎だらけである。

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