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2017年6月26日 (月)

自証院坂

曙橋駅から靖国通りを西へ進む。 この道は江戸時代は甲州街道の脇道のような役割で、辺りには多くの寺町を抱えていた。富久町の東側の成女学園の辺りには今も善慶寺と自証院が残るが、江戸時代には5軒の寺が並んでいた。

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成女学園の脇道を上るのが自証院坂である。 成女学園は明治32年(1899)創立だが、ここに移転してきたのは明治39年(1906)。 それ以前にここに住んでいたのがラフカディオ・ハーンこと小泉八雲で、八雲は自証院の墓地を散策するのが大好きだったようだ。 江戸末期の切絵図を見ると自証院はとても広く、富久町の北側一帯がその敷地で、この坂は参道だったようだ。

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自証院は尾張藩主の徳川光友夫人の母、自証院(徳川家光の側室)を供養する為に1640年に創建された寺院だが、正式な名前は鎮護山圓融寺という。興味深いのは自証院の先、富久小学校の裏手にある無名の坂である。

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明治以降の新しい坂だがなかなかの景色を持っている。 富久小学校へ通うタワーマンションの子供たちが朝夕賑やかに通るのだろう。

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コメント

「自証院の先、富久小学校の裏手にある無名の坂」に住んでいた者です。
少なくともこの坂の入り口(坂の下、画像の下の切れ端部分)に「蜘切坂」と書かれた木の柱が立っていました。

そして次ページにある「禿坂」の柱には「禿坂」とだけ書いてあり別名蜘切坂、とは書いてありませんでした。

少なくとも記憶にある昭和61年くらいまでは(もしくはそれ以降もしばらくは)この2つの坂はそれぞれ上記の通り標柱もそこに書かれてある坂の名前も別々でした。

「自証院の先、富久小学校の裏手にある無名の坂」のたもとにあった「蜘切坂」と書かれた標柱がいつから無くなってしまったのか、この地をしばらく離れがちになり大人になって戻ってきたらそういえばいつの間にか昔の蜘切坂の柱が気づいたらなくなっていたなあと思いながら、懐かしい気持ちで記事を拝見させて頂きました。

投稿: つばめ | 2025年3月 3日 (月) 23時21分

つばめさん

お読みいただきありがとうございます。富久町生まれのアラ還の友人がいるのですが、結構な坂道は多かったということしか覚えていないようなことを言っておりました。江戸時代には寺と大名や旗本屋敷、武家屋敷が並ぶエリアで、暗めの坂が多かったのだろうと思います。貴重なご記憶を共有していただきありがとうございました。

投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2025年3月 6日 (木) 21時31分

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