自証院坂
曙橋駅から靖国通りを西へ進む。 この道は江戸時代は甲州街道の脇道のような役割で、辺りには多くの寺町を抱えていた。富久町の東側の成女学園の辺りには今も善慶寺と自証院が残るが、江戸時代には5軒の寺が並んでいた。
成女学園の脇道を上るのが自証院坂である。 成女学園は明治32年(1899)創立だが、ここに移転してきたのは明治39年(1906)。 それ以前にここに住んでいたのがラフカディオ・ハーンこと小泉八雲で、八雲は自証院の墓地を散策するのが大好きだったようだ。 江戸末期の切絵図を見ると自証院はとても広く、富久町の北側一帯がその敷地で、この坂は参道だったようだ。
自証院は尾張藩主の徳川光友夫人の母、自証院(徳川家光の側室)を供養する為に1640年に創建された寺院だが、正式な名前は鎮護山圓融寺という。興味深いのは自証院の先、富久小学校の裏手にある無名の坂である。
明治以降の新しい坂だがなかなかの景色を持っている。 富久小学校へ通うタワーマンションの子供たちが朝夕賑やかに通るのだろう。
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