禿坂(蜘切坂)
禿坂(かむろざか)と読む。 また別名の蜘切坂(くもきりざか)も難読。 蜘切坂の由来は、三田に多くの伝説が残る渡辺綱が、ここで古蜘蛛を退治したという伝説に由来している。 しかしそれだけのことで、江戸末期以降はおそらく禿坂の方がなじみ深い呼び名だったのではないか。
坂は緩やかに上っていく。標柱には、「坂名の由来は定かではないが、近吾堂版の『江戸切絵図』には『里俗カムロ坂』とあり、江戸時代後期には「かむろざか」と呼ばれていたことがうかがえる。」とある。
実はいくつかの説があり、自証院裏手、今の富久小学校の裏、都立総合芸術高校の校門の辺りに大きな池があり、そこに河童が住んでいた。 河童のことをカムロ(禿)と呼ぶのでここが禿坂になったという。 紅葉川の源頭のひとつである。
坂はだらだらとイトーヨーカドーの先まで続いている。 江戸以前はこの辺りには原野が広がり、人もまばらだったはずである。 このちょっとした斜面と坂道からそういう想像ができる。
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