長延寺坂を坂下に戻り、外濠方面へ。 外堀通りに出る1本手前の路地を保険会館本館角で左折すると、ルーテル教会の先の辻、そこから左に曲がるとまっすぐに上る浄瑠璃坂が現れる。坂名の由来は、あやつり浄瑠璃の芝居小屋があったからだとか、江戸時代にあった光円寺の薬師如来が東方浄瑠璃世界の主だからなどの諸説がある。
坂の標柱には、その説に加えて、「江戸時代、坂周辺は武家地であった。この一帯で寛永12年(1672)に浄瑠璃坂の仇討ちが行われ、江戸時代の三大仇討の一つとして有名であると書かれている。坂上を進み路地をいくつか曲がると鼠坂の坂上に出るが、そこにこの説明板がたっていた。
仇討ちは極めて返り討ちのリスクが高く、それだけに成功すると江戸中から注目されたのだろう。
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