鰻坂(市ヶ谷)
市谷鷹匠町は辺りで最も標高の高いエリア。 その最高地点に浄瑠璃坂の仇討ちの現場がある。 そこから北に下りるのが鼠坂、西には芥坂、南には浄瑠璃坂、そして東に下るのが鰻坂である。
西側は長延寺谷の窪地だが、この鰻坂の形も薬研型をしていて真ん中の低いところには大正時代に通された広めの道が南北に通っている。 その道を境に向こう側はまた標高を上げていく坂構造である。 向こう側の上りに入るとすぐにクランクになるのは江戸時代からの道筋がそのまま残っている形である。
坂の標柱には、「坂が曲がりくねっているためこう呼ばれた。『御府内備考』によると、幅約2間(3.6m)、長さ約20間(36m)にわたり曲がり登っているため、鰻坂と呼ばれたという。」とある。クランクの所に手書きで日本基督教団牛込払方町教会への案内が目立たず貼られているが、坂関連の書物にはこの協会のことが必ず出てくる。広い路地からは見えないし、住宅に囲まれた立地で目印がないからランドマークにされたのだろうか。
上の写真の右側煉瓦塀の所がその教会である。 鰻坂からみるとただの民家に見えるが、向こう側にはそれっぽい入口がある。 しかし目立たない。 払方町というのは江戸時代の地名であるが、今もここの住所は払方町。 新宿区がこういう古い地名を残してくれることは本当に嬉しい限りである。
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