梯子坂(東大久保)
好きな坂のひとつである。 蟹川の谷の上下を結ぶ階段の坂道。 蟹川の谷は南北に走っていて、この辺りの窪地一体を河田窪と云ったらしい。河田窪という地名は大窪とも呼ばれ、江戸時代には大久保村になった。川が流れていた場所にある典型的な銭湯、東宝湯の煙突と看板が昭和風情を醸し出している。
坂の石段の下に立つと微妙に曲がっている景色もいいなと思う。猫が階段を横切って北側の家の中に入っていった。 鉄製の手すりの錆止め塗料の剥がれ具合もいい。
坂上に標柱がある。「坂が急で、まるで梯子を登るようであったため、この名がついた。(新撰東京名所図会)」とある。以前の標柱には「『豊多摩群誌』によれば「梯子坂、久左衛門坂北方の裏通に在り、東へ登り十間許り、坂道急にして恰も梯子を登るが如し、故に名付く」とある。」とあった。 坂上の南側は永福寺の墓地である。
やはりこの梯子坂は下から見上げる姿がいい。坂の北側は武家屋敷だった。 江戸切絵図には土井彦兵衛とある。坂上のアパートのあるところは小大名の下屋敷で大久保紀伊守とある。大久保に大久保様とは悪くない。 坂下は明治の末期まで田畑だった。
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