成子坂(西新宿)
ヨドバシカメラの名前の由来は地名の淀橋である。 今の西新宿の高層ビル群の一帯から神田川辺りまでの広いエリアを明治後期は淀橋と呼んでいた。 しかしそれ以前は青梅街道以北が柏木村、青梅街道と甲州街道の間が角筈村というように、今でこそ高層ビルが数多立ち並ぶ副都心だが、かつては江戸の西のはずれの田舎だった。 江戸から西へ進む街道は、今の伊勢丹前、追分で青梅街道と甲州街道に分岐し、北側の青梅街道が神田川の谷に向かって下るあたりが成子坂になる。
本来の名前は鳴子坂。 江戸の初期は道も狭く急峻で、百姓家が並んだ。ただ街道だけに旅人を鳴子で呼ぶ半農半商の店が多くあった。 鳴子はもとは農作物を守るために鳥を追い払う目的の鳴り物で、カチカチと音を立てる小さな羽子板のようなもの。 徐々に街道筋が農家から商売家に変わっていくと、客寄せの鳴子も使われなくなり、そのうち地名も成子に転化してしまった。 しかし古い街道だけに、高層ビルの間にある店舗には100年前後続くものもあったりする。
成子坂下の交差点に東京都が建てた金属製の説明板があるが、落書きされて読むのにひと苦労する。 「豊多摩郡誌によれば、「成子坂は、成子神社前の緩斜路をいう。石地蔵は其南側にあり、年月を刻せず、古きものとも見えざるが、香火常に絶えず稚児を喪いしもの供養するところなるにや、傍に庚申塔数基あり、延宝8年(1680)、同5年(1677)の文字を読む、毎月11日、22日はこの石地蔵の縁日、また毎月25日は成子神社の縁日として夜店多く並び・・・」とあり、成子坂一円は非常に賑わったところだったことがわかる。」と書かれているようだ。
坂の途中、旧柏木村側にあるのが成子天神である。 天神なので祭神は菅原道真公。 平安時代以前からここには天照大神を祀る神社があったが、延喜3年(903)に道真の家臣がこの地に成子天神を設立したという由緒。 社殿は戦争で焼失し、昭和41年に再建されたもの。
この地域には名物として明治期まで鳴子ウリなるものがあった。 マクワウリという小さいウリで、原産地は美濃の国の真桑村(大垣市の北にある本巣市の中心地)。 徳川幕府は真桑村から農民を呼び寄せ、府中の是政とここ鳴子に住まわせて瓜の栽培をさせた。 この瓜は根が浅く、土の乾燥に弱いので、神田川の流域で土地の湿り気の多いここは適地だった。 徳川幕府の土木工事は凄いものだが、農業に対する見地も大したものがある。
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