新坂(神楽坂若宮町)
庾嶺坂の坂上をそのまま進む。 江戸時代坂上の台地は武家屋敷が立ち並ぶエリアだった。その中に今に続く若宮八幡宮がある。創建は源頼朝による1189年。15世紀に太田道灌により再興され、近代に続いていたが第二次大戦で焼失した。今の社殿は1999年のものである。
神社脇を西に別れる道がある。 その道が新坂である。 クランクになって西に上る。この道筋は江戸時代の道筋そのものである。 北側のエリアの日本出版会館向かいにある光照寺の境内がこのクランクのところまで江戸時代にはあった。武家屋敷の中で、寺の境内が随分と幅を利かせていたわけである。
ちょうどマンションを取り壊して見通しが良くなっていたが、もう新たな建物が建っていると思う。坂はゆるやかに高度を上げていく。クランクの先に標柱がある。「御府内沿革図書』によると、享保16年(1731)4月に諏訪安芸守の屋敷地の跡に新しく道路が作られた。新坂は新しく開通した坂として命名されたと伝えられる。」 江戸時代の新坂は古いのだ。
別名の若宮坂の方が似合うが、江戸っ子はやはり新坂と呼んだのでそれを正とすべきか。 若宮八幡宮の北側は薬研風の無名坂になっている。 この新坂の辺りまで熱海湯の谷筋が切れ込んでいた。 江戸以前には沢が流れていたのだろう。 そして水が出るので銭湯が出来たと思う。新宿区界隈の銭湯はほぼこのパターンのロケーションである。
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