赤城坂(神楽坂)
神楽坂上は寺の立ち並ぶ街並みであった。 もちろん江戸時代の話である。 その先をひとつ入ったところが赤城神社である。 地蔵坂のところでも書いたが、神楽坂上には室町時代大胡氏(のちの牛込氏)の城があった。 その大胡氏は赤城山麓の豪族で、1300年頃というから鎌倉時代の末期、群馬の大胡からここに移住した。 今も赤城山の麓には大胡という町がある。
江戸時代には徳川幕府によって「日枝神社」「神田明神」と共に「江戸三社」と称され、牛込の総鎮守として多くの氏子を抱えていた。 ただ平成になって社殿を建替え、とてもモダンになったのには賛否ありそうだ。 その赤城神社の西脇を神田川に向かって下るのが赤城坂である。
長い坂で、途中クランクしてさらに下っていく。 クランクの所には赤城神社の西参道がある。 裏参道というよりも勝手口のように周辺の氏子さんが階段を上って行く。 ここにある加賀屋(もつ料理屋)はいつか入ってみたい雰囲気の居酒屋だ。
坂の標柱には次のように書いてある。 「赤城神社のそばにあるのでこの名がある。『新撰東京名所図会』によれば、「・・・峻悪にして車とおすべからず」とあり、かなりきつい坂だった当時がしのばれる。」
坂は長い下りで、200mほどあり、高低差は18mある。 坂をそのまま進むと神田川にかかる石切橋になるが、この石切橋は江戸時代からある橋である(もちろん架け替えてある)。 坂下のセブンイレブンの手前から赤城神社裏の切れ落ちた崖を望むことができる。 地形図で計測すると崖の高さはおよそ16mある。 都心にある見られる崖の一つである。
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