夏目坂(早稲田)
夏目坂通りは通称通りで南は若松町、北は馬場下町の交差点までの間を呼ぶ。夏目漱石の生家がこの坂の途中にあった。坂下のやよい軒の前に夏目漱石誕生の地の石碑がある。漱石の父が自分の姓をつけて呼んでいたのが広まったと言われている。
坂の上下にある標柱には、「夏目漱石の随筆『硝子戸の中』(大正四年)によると、漱石の父でこの辺りの名主であった夏目小兵衛直克が、自分の姓を名づけて呼んでいたものが人々に広まり、やがてこう呼ばれ地図にものるようになった。」と書かれている。
坂下の交差点にある小倉屋という酒屋は漱石が子供の頃にはすでにあったようだ。またこの辺りを喜久井町と呼ぶのは、名主であった夏目家の家紋が井桁に菊で、それで夏目家のあるこの街を喜久井町としたという話を漱石は子供の頃に聞かされている。
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コメント
戸塚から戸山町、西早稲田、東大久保、柏木、歌舞伎町あたりは、若い頃の仕事場でした。
「グランド坂」なんていう坂もありましたが、今は体育の授業を受けたグランドもありませんね。
そのころ、移動手段は自転車でしたので、坂はあまり好きではありませんでした。
投稿: 吉瀬 総 | 2017年8月26日 (土) 21時08分
吉瀬さん、ご無沙汰してます。グランド坂は今もその名で呼ばれ、学生でにぎやかです。まあ右も左も校舎ですからもっともですが。早大中央図書館の場所は昔は運動場だったようですね。時代も明治まで戻ると、下戸塚村という江戸の西のはずれの農村であたりは茶畑だったらしいです。東側の校舎あたりは茶畑の間に水稲神社やいくつもの寺が点々とあり、高田富士という富士講の象徴の最古の人口富士もありましたが、大学の建設で取り壊されました。その辺はグランド坂の所で少し書こうと思っています。
投稿: ぼのぼの坊渓 | 2017年8月27日 (日) 19時28分
私がいたころ、現在図書館の建っているところは、安部球場でした。
授業のないときには、野球部の諸君が汗を流していました。
当時の野球部から監督を含めプロの選手をたくさん輩出しましたが、たぶんすべてユニホームを脱がれていると思います。
安部球場がなくなるなど、考えもしませんでしたから、写真も撮ってないし(そもそもカメラを持ってない)、記憶も殆どありません。
ここで行われた、8時20分から始まるソフトボールの授業にしばしば遅刻して、先生に叱られました。
新聞配達していたので、どうしても間に合わなかったのです。
私はキャッチャーで、盗塁されまくりでした。(^^;
投稿: 吉瀬 総 | 2017年8月27日 (日) 20時22分
吉瀬さん、ナマの経験談はいいですね(^^)。馬場八幡を今日書く予定だったのですが、グランド坂を書いてしまいました(笑)。また今度お会いした時に話を聞かせてくださいね。
投稿: ぼのぼの坊渓 | 2017年8月27日 (日) 20時28分