神楽坂
神楽坂は東京に住む人は誰もが知っている坂である。 またフランス人が集まる街としても知られる。 坂名の由来は標柱によると、「坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城八幡の神楽堂があったからなど、いずれも神楽に因んだ諸説がある。」という。 地形的には神田川と外濠のもとになった紅葉川が削ってその間にできた台地の上下をつなぐ坂道である。
神楽坂と名の付く駅が坂上の台地に二つある。一つは地下鉄東西線の神楽坂、もう一つは都営大江戸線の牛込神楽坂である。牛込というのは明治以降東京市だった頃の牛込区の名残りで、北に小石川区、東に麹町区、南に四谷区、西に淀橋区があり、今の明治通り、靖国通り、外堀通り、神田川あたりが区境だった。 そして江戸時代は神楽坂下の濠の向こうに牛込御門がありそこからは城内だったわけである。
様々なグルメがこじんまりと寄せ合った挙句に大きなグルメ街となった神楽坂だが、江戸期は武家屋敷が多く、割と静かな町だったようだ。 明治前期にはこの坂はあまりに急で危険だということで、上部を削り坂を緩やかにした。 明治中頃になり、甲武鉄道が伸びて牛込停車場が開設されると、神楽坂上毘沙門天(善国寺)の縁日が人気になり、多くの人々がこの坂を上り下りするようになった。 そうしてこの街は次第に歓楽街と変化していったのである。
善国寺(毘沙門天)には多くの若い女性が参詣していた。 寺の創建は文禄4年(1595)だが当時は日本橋馬喰町にあった。その後火事で麹町に移転、現在の場所に移ったのは寛政4年(1792)と比較的新しい。 神楽坂が歓楽街になるのと共に発展した寺なのである。
周辺には魅力的な路地が沢山あり、その魅力をもたらしているのは粋な塀や門構えを持つ料亭である。庶民には高い敷居だが、こういう街が存続できるのは平和である証拠だと思う。
Photo:2010/12/25 & 2016/12/7
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