比丘尼坂(矢来町)
朧の坂から2本先の路地。 坂下からくる場合は赤城坂のクランクの交差点を西へ進む。 銭湯の金成湯(きんせいゆ)まで行くと行き過ぎで、その1本手前を早稲田通りに向かって上るのが比丘尼坂である。
坂の傾斜は緩やか。 途中クランクになるが、江戸時代は御先手組の屋敷(今でいう公務員団地のようなもの)が建ち並んでいたようである。かつては坂下に標柱があったらしいが、十数年前からなくなってしまったようである。坂名の由来が書かれていて、「このあたりに比丘尼坂が住んでいたという。比丘尼姿の私娼が住んでいたのではないかとの説もあるが、特にに根拠はない。」と書かれていたと道家氏の書には書かれている。
クランクから早稲田通りまでの間は細路地。訪問時は路地の入口の水道工事屋さんがトラックを駐車しっぱなしにしていて車は通れない状態になっていた。 トラック脇を抜けて早稲田通りへ出る。 早稲田通りの向かい側は江戸時代は小浜藩酒井若狭守の上屋敷があり、庭には大きな池があった。 その庭は築山山水式の名園。 池は明治の終わりまで残っていた。
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