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2017年8月24日 (木)

焼餅坂(牛込)

外苑東通りと大久保通りの交差点が市谷柳町。 外苑東通り筋は大昔は沢筋だった。 北に向かって標高が下がりやがて神田川に注ぐ小沢である。 この窪みが牛込台地を東西に分けている。 山伏町から外苑東通りに向かって西に下るのが焼餅坂で、江戸時代の切絵図には「ヤキモチザカ」と記されている。

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大久保通りは緩やかなカーブを描いて下っていき、交差点を過ぎると再び上る。向こう側の坂には名前はない。 坂上の山伏町は江戸期から続く町名。山伏(修験者)が多く住んでいた。ただ享保8年(1723)に火災で山伏町は焼失し下谷に移った。そのあとには武家屋敷が建てられた。

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坂の中腹に東京都が建てた金属製の説明板には、「昔、この辺りに焼餅を売る店があったのでこの名がつけられたものと思われる。別名赤根坂ともいわれている。新撰東京名所図会に「市谷山伏町と同甲良町との間を上る。西の方柳町に下る坂あり、焼餅坂という。即ち、岩戸町箪笥町より通ずる区市改正の大通りなり」とある。また「続江戸砂子」「御府内備考」にも、焼餅坂の名が述べられている。」と彫られている。

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大久保通りは明治後期に開通した道である。 それ以前は脇の斜め道が街道だった。 大久保通りが開かれたのは明治から大正にかけてで、都電の路面電車のための新道だった。今の新宿区役所前から若松町を通りここを東進し、神楽坂上から飯田橋という路線。今はその影もほとんどない。

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