地蔵坂(新宿区天神町/矢来町)
早稲田通りは西進すると、牛込天神町で不思議なクランクをしている。右折すると江戸川橋通りとなり江戸川橋を渡って音羽に向かう。 このクランク、実は江戸時代からクランクだった。南側は小浜藩上屋敷、クランクの周りは御先手組の組屋敷で、江戸川橋通り側は天神町という町家の一角だった。
これだけの大通りがその地形を消し去れないという事に、心の底からウフフと笑いたくなる心地よさがある。 ここから西は天神町である。クランクの所に標柱がある。
「江戸時代後期、小浜藩酒井家下屋敷(現在の矢来町)の脇から天神町へ下る坂を地蔵坂と呼んでいた(『砂子の残月』)。坂名の由来は定かではないが、おそらく近くに地蔵尊があったものと思われる。」 ・・・あれ?切絵図では酒井家の上屋敷になっているけど?
坂の別名を三年坂という。 酒井家上屋敷は土手を築いていてうっそうとした道で辻斬りや追剥が出没した。 おまけに当時は急坂で、この坂で転ぶと三年以内に死ぬと言われた。辻斬りだと三年ではなく即日死ぬだろうとは思うのだが。
寛永10年(1639)に大火で江戸城本丸が炎上した時、徳川家光はこの酒井家屋敷に避難した。その時の警護に仮の囲いとして槍を立てて囲んだ(これを矢来という)。 それ以来酒井家では屋敷を竹矢来で囲むのを習わしとしたという。 それが矢来町の町名の由来である。
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