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2017年9月23日 (土)

三組坂(湯島)

三組坂は昭和になってからできた坂である。 江戸時代から湯島天神南側の三組丁はよく知られていて、その為に江戸時代の坂のように勘違いしてしまいがちだが、江戸切絵図にはこの坂はない。ここの崖が急すぎて道が開けなかったのである。 その様子は実盛坂を見ればよくわかるが、三組坂は急な崖を整地して緩やかな斜面にして通した坂なのである。ただ、この崖を往来する階段が二本はあったことが明治期の地図には描かれている。

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ホテル江戸屋の石垣の前に説明板が設置されている。 「元和2年(1616)徳川家康が駿府で亡くなり、家康お附きの中間(ちゅうげん)・小人・駕籠方「三組の者」に、当時駿河町といわれていたこの地一帯を与えた。 その後、元禄9年(1696)三組の御家人拝領の地である由来を大切にして町名を「三組町」と改めた。 この町内の坂であることから「三組坂」と名づけられた。 元禄以来、呼びなれた三組町は、昭和40年(1965)4月以降今の湯島3丁目となった。」

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江戸切絵図を見ると、三組坂~芥(ガイ)坂~実盛坂のあたりに南から、御駕篭者屋敷、御小人屋敷、御中間屋敷が並んでいる。 御駕篭者とは帯刀を許された将軍付の駕篭担ぎ。 御小人とは江戸城中の玄関などの警備、物品の運搬を職務とした者。 御中間とは、大奥や台所の警備や将軍お出かけの際のお供をした。 今でいう霞が関の機動隊のようなものだろうか。

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