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2017年9月 7日 (木)

霞坂(中落合)

西坂上の最初の路地を左折する。 現在大同特殊鋼の寮を建替える工事が進んでいる。その細路地をそのまま進むと途中から道は下り坂になる。 この道は明治末期から大正時代の初めにできた新坂だが、杣道は江戸時代からあったようだ。

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坂道はS字カーブのようにくねりながら下っていく。坂の途中に標柱がある。「明治時代末に開かれた坂で、『豊多摩郡誌』には、「大字下落合里俗中井より小学校前へ開穿(かいせん)したる新坂なり。」とある。この坂下は一面の水田だったので、春霞のたつのどかな田園風景が美しかったという。」と書かれている。

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小学校というのは坂上にある落合第一小学校だろうか。 明治後期の地図にはすでに小学校は記載されている。 調べてみると明治25年(1892)の開校とあるが、徳川家の敷地にあり、明治31年(1898)に今の場所に移転した。当時の住所名は下落合不動ヶ谷。  ただ明治時代は小学校の西側に細い道が谷下である不動谷と坂上を結んでいるのみだった。 それが大正期の地図になると小学校の東側の斜面にも道の線がついている。

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坂下の新目白通りと西側の山手通りで現在は分断されているが、昔は不動谷が新目白通りの筋に切れ込み、住む人もいない台地下だった。 坂下には通りを渡る歩道橋があり、かすみさかほどうきょうとある。

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