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2017年9月24日 (日)

中坂(湯島)

湯島天神は当然ながら学問の神様菅原道真を祀っているわけだが、それ以前起源458年から、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社があったという。 菅公を祀るようになってから太田道灌、徳川家の保護を受けながら発展していった。 そんな湯島天神の銅鳥居(表鳥居)の前から下るのが中坂である。

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この銅鳥居は寛文7年(1667)の寄進で、都内でも最も古い部類に入る。 年末や年明けに立ち寄るとこの神社は数え切れないほどの受験生で埋まっていることがある。 ゆっくり参詣したければ、学生の逆のタイミングで参詣する必要がありそうだ。

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銅鳥居から30mほど南に行ったところが湯島中坂上の交差点。 そこから湯島駅の方に下るのが中坂である。 上の写真は受験生がまだ余裕ある夏前に訪れたときの中坂の様子。 湯島にはラブホテルがいくつもあり、この通り沿いにもちゃんとある。 この道が年末年始になると下のようになる。

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怪しい街なのか、学問の街なのか、よくわからない。 ただ湯島は門前町であると同時に、里俗には天神芸妓と呼ばれて、いわゆる花街でもあった。 昔から神仏と俗とは常に表裏一体だということ。 中坂沿いに参詣者は並ぶ並ぶ、どこまでも並ぶ受験生たち。 ただ並んでいる間に本を読んでいる学生は少ない。 もっとも並んでいるうちの半分以上は親としか思えない年齢の男女だから、本人は自宅で勉強しているのだろうか。 しかし自分で参詣しないとご利益もなさそうな気がするが。

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結局坂下の駅まで列は続いていた。  ちなみに中坂の由来は、嬬恋坂と天神男坂の間にあるからという説がある。 マンション建設で数年前撤去されてしまった説明板には、次のように書かれていた。

「『御府内備考』に「中坂は妻恋坂と天神石坂との間なれば呼名とすといふ」とある。 江戸時代には、二つの坂の中間に新しい坂ができると中坂と名づけた。したがって中坂は二つの坂より後にできた新しい坂ということになる。また『新撰東京名所図会』には「中坂は、天神町1丁目4番地と54番地の間にあり、下谷区へ下る急坂なり。中腹に車止めあり」とあり、車の通行が禁止され歩行者専用であった。このあたりは、江戸時代から、湯島天神(神社)の門前町として発達した盛り場で、かつては置屋、待合などが多かった。」

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