傘谷坂(湯島)
傘谷坂は湯島の西、本郷に近いエリアを南北に走る薬研状の坂道である。 確かに傘を裏返しにして対角線の骨に例えるとまさに似た形になるのだが、それが由来ではない。 江戸時代にこの街には傘職人が沢山住んでいて、ここが傘製造街だったことが由来だという。 ただ横関英一氏の見立てではこの坂の形が傘谷の名前になった可能性を捨てていない。
今は当然傘屋街ではない。 江戸時代末期には傘職人はいなくなっていた。 また江戸期にこの通りは金助丁と言った。 旗本牧野金助の屋敷地だったが、大半をお上に召上げられ御家人の組屋敷になった。 幕府の財政悪化が進むと貧乏な御家人は内職で傘を作って売ることが多かったという。
坂の南側にサッカーミュージアムがある。 かさを反対から呼んでサッカー?という訳ではなかろうが、そのうちサッカー谷と呼ばれる時代も来るかもしれない。
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