七曲坂(下落合)
七囲坂(ななめぐりざか)ともいう。 もともとはもっと急でくねった坂道だったが、明治37年(1904)に整備されて今のルートになった。 さらに古い話としては、源頼朝が和田山に陣を構えた時にこの七曲坂を開いたとある。 和田山というのは今の哲学堂の辺りで、鎌倉幕府の御家人である和田義盛の居館があった場所と思われる。
坂の上下に標柱がある。それによると、「折れ曲がった坂であることからこの名がついた『江戸名所図会』。古くは源頼朝が近所に陣を張った時、敵の軍勢を探るためにこの坂を開かせたという伝説がある(『遊歴雑記』)。」とある。
近代に均されたといっても傾斜はかなりある。左右に林が残っているのが素晴らしい。この坂もまた武蔵野の雰囲気を残している。以前は竹藪も残っていたようだが、今はかなり住宅が張り付いている。
坂の上部の西側にある大きなマンションは目白御留山デュープレックスという。デュプレックスというのは、ホテルのスイートルームなどで室内に階段をつけて複数のフロアを占有する形をいうが、そういう高級なマンションなのだろう。しかしその土手のコンクリート壁には見事なまでのツタが絡めてあり、坂の雰囲気に貢献している。
この坂上を昔は鼠山と呼んだ。『江戸名所図会』の中に、「七曲坂鼠山の方へ上る坂をいふ。曲折ある故に名とす。」と書かれている。
七曲坂の坂下、新井薬師道との辻には石地蔵がある。 とてもいい雰囲気を醸し出している。 向かいは下落合氷川神社だ。神社の由緒によると、2400年以上前からあったとされている。しかしその頃にどういう信仰があったのかはわからない。とはいえ、妙正寺川と神田川の合流地点が近いので、数千年前から人間の営みがあったことは疑う余地がない。
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