久七坂(下落合)
下落合の坂ではもっとも西にあるのが久七坂。 薬王院を出て西に向かうと、下落合弁財天が奥まったところに小さく鎮座している。 社はかなり傷んでいるが、逆に歴史を感じさせる。弁財天の足元には湧水らしき池がある。裏手には下落合横穴墓群跡(おうけつぼぐんあと)の説明板があるが、直接見ることはできず、新宿歴史博物館に資料があるそうなので確認してみたいと思う。
坂の上下にある標柱には、「『奥多摩郡誌』には、もとは田んぼへ行き来する為の道で、急な坂であったと記されている。 坂名はゆかりのある村人の名にちなむものであろう。」と書かれている。 今でも十分急な坂であるが、江戸時代はもっと急だったのだろう。
坂の途中は左右とくねっている。 昔の妙正寺川と神田川は坂下の下落合駅付近で合流していた。 崖下は豊かな土壌の田んぼだったはずである。新宿区史の資料には、「中井の辺から落合の台地を流れる妙正寺川の周辺は一面の田だったし、少し高くなったところは畑、他は山だ。山だといっても柴などの雑木が大部分で薪を拾っていた。」という話が残っている。
妙正寺川はかつては蛍の名所だった。『江戸名所図会』には、「この地は蛍に名あり、形大いにして光も他に勝れたり。山城の宇治、近江の瀬田にも越えて、玉の如く星の如くに乱れ飛んで、光景も奇とす。夏月夕涼多し。」とあり、江戸時代はこの蛍を愛でに人々が集まった。
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