相生坂(昌平坂) (文京区湯島)
御茶ノ水駅の聖橋口を出るとすぐに聖橋が神田川を跨いでいる。 そのまま線路沿いを神田に向かって下る坂と川向こうの湯島聖堂と神田川の間を下る坂を合わせて相生坂と呼ぶ。 江戸っ子は坂が平行に並んでいる場合や、U字型に向こうの坂とこっちの坂で対峙する場合にこの相生坂という名前を付けることが多い。 この坂は別名を持っていて、どちらかというと昌平坂という名の方が通っている。または団子坂と呼ぶ場合もある。
聖橋から見下ろす相生坂の下には地下鉄丸ノ内線が地下に潜り込むトンネルの入口がある。その下の神田川は徳川家康の命により伊達政宗が台地を切通して流した旧江戸川(神田川)で、縦に複雑に絡んだ歴史が面白い。
相生坂真上から見下ろすと、湯島聖堂の築地塀(ついじべい)が見事。 どの角度から見ても破たんしない秀逸なデザインで恐れ入る。 築地塀は増上寺や赤坂の報土寺で見られるが、ここの物が一番美しいと思う。
この築地塀は江戸時代の画家もお気に入りだったようで、安藤広重の『名所江戸百景』の中には夏と冬それぞれの昌平橋と昌平坂(国立国会図書館版)がある。 夏版は梅雨時期だろうか、湯島聖堂の築地塀がはっきりと描かれているし、冬版にもやや遠景になるがきちんと描かれている。 広重の絵を見るとこの坂は相当に急な坂だったように見える。
湯島聖堂は孔子の儒学の振興を図るために徳川五代将軍綱吉が建てた昌平坂学問所である。 江戸時代の大学のようなもの。 関東大震災で倒壊し、今の孔子廟などはそれ以降の建築で、鉄筋コンクリート製である。
坂下に相生坂の説明板がある。「相生坂(昌平坂)…神田川対岸の淡路坂と並ぶので相生坂という。『東京案内』に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。 昔はこれに並びてその西に一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛政中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れり」 とある。 そして後年、相生坂も昌平坂と呼ばれるようになった。 昌平とは聖堂に祭られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。」 と書かれている。
何だか紛らわしいが、相生坂と昌平坂の角に古跡昌平坂という石柱がある。 これもどっちの坂とも取れる位置に立てられているのが困りものである。
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