昌平坂(文京区湯島)
湯島聖堂の脇、秋葉原側の路地が昌平坂。 ただ、相生坂で書いたように、どれが昌平坂かという点では若干の混乱がある。 地形的には湯島聖堂の敷地は本郷台地の東の崖線に沿っており、伊達政宗が掘削した神田川放水路の最下流左岸。 聖堂の東端は7mと低く西端は18mと高い。 敷地内で11mの標高差がある。
聖堂の東側の昌平坂の高低差は8mほど。こちら側にも築地塀が続いていて石垣もいい景色になっている。坂上近くに説明板が立っている。
「湯島聖堂と、東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした 江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。そこで学問所周辺の三つの坂を、ひとしく「昌平坂」と呼んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。(後略)」
と書かれている。 こちらの昌平坂は別名を団子坂という。
坂の南端には『古跡昌平坂』という石柱が立っている。 いっぽう北端角には石柱の根元はあるが地面15㎝ほどの所で折れて逸失してしまっている。 折れたのはいつかわからない。 15年前には折れていた。 さらに不思議なことだが、15年前の折れた石柱と今の折れた石柱の場所が違うのである。 向きも違っている。 折れたまま掘り起こして再び埋め戻したようだ。
坂上の大通りは国道17号線本郷通りの湯島坂。 かつての中山道である。
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