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2017年9月23日 (土)

妻恋坂(文京区湯島/千代田区外神田)

現在は裏道だが、古い道である。 清水坂の途中から東に向かって下る。 ラブホテルの並びに妻恋神社がある。 2015年に設置された新たな神社の説明板がある。 それによると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征でこの地を訪れた折、倉稲魂神<ウカノミタマ>(稲荷神)を祀ったのが起源。 江戸時代になって、妻恋稲荷大明神と呼ばれるようになり、多くの参詣者を集めた。 江戸の稲荷社の番付では行事筆頭として、ここから多くの稲荷が分祀された。

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神社の辺りから徐々に下り坂が始まる。 再訪した折に新しい坂の説明板が出来ていた。 真新しい説明板は2016年のもの。

「大超坂・大潮坂・大長坂・大帳坂と別名を多く持つ坂である。 『新東京名所図会』に、「妻恋坂は妻恋神社の前なる坂なり。大超坂とも云ふ。本所霊山寺開基の地にて、開山大超和尚道徳高かりしを以て一にかく唱うといふ」とある。 この坂が妻恋坂と呼ばれるようになったのは、坂の南側にあった霊山寺が明暦の大火(1657)後浅草に移り、坂の北側に妻恋神社(妻恋稲荷)が旧湯島天神一丁目あたりから移ってきてからであろう。」

と書かれている。

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江戸時代の切絵図を見ると、妻恋稲荷の前の道は「ツマコイザカ」と書かれている。 妻恋神社の西で道は北に折れ(これが今の清水坂の一部)、湯島天神に向かう三組丁の通りになる。 妻恋稲荷より北は湯島天神の門前町になる。

(追記:2019/1/3)

妻恋神社の創建に関して、『日本書紀』の日本武尊の東征の話に出てくるストーリーがある。

東国で反乱がおこり、日本武尊が平定に向かった。途中船で相模から上総に向かっていると嵐が起こり、船が沈みそうになった。日本武尊に同伴していた妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投じると、たちまち嵐はおさまり、船は陸に着くことができた。日本武尊は犠牲になった妻を偲んで、「吾嬬はや(ああ我が妻よ)」と嘆いた。

この神話がもとで妻恋神社には、日本武尊、弟橘媛、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)の三柱が祀られている。

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