鉄砲坂(目白台)
三丁目坂の坂上を南に曲がり、新目白通りのカーブまで南下、目白台三丁目の変則分岐を真東に進むと鉄砲坂の下りになる。 坂上は普通の路地だが、坂の傾斜に入ると軽自動車いっぱいいっぱいの道幅に狭まる。
両側に個性のある塀が続くので、景色のいいアクセントになっている。 坂の途中で南側に接道する路地の方が広いが、鉄砲坂はまっすぐに下る。 路地の方は東京音楽大学付属高校の裏を通って音羽通りに出る。 この丁字路から見上げる景色もいい。
坂の北側は東京音楽大学の目白台学生寮。 ここには江戸時代斜面を利用した鉄砲練習場があった。 微妙に曲がった細い坂の路地はこの道が古い道である証である。
坂下に安政四年の『音羽絵図』という江戸切絵図を描いた説明板がある。
「この坂は音羽の谷と目白台を結ぶ坂である。坂下の東京音楽大学学生寮のあたりは、江戸時代は崖を利用して鉄砲の射撃練習をした的場(角場・大筒角場ともいわれた)であった。その近くの坂ということで「鉄砲坂」と呼ばれるようになった。」
江戸切絵図には「鉄砲サカ」と書かれている。 坂の南側の東京音楽大学付属高校の辺りは旗本斉藤伊豆守の屋敷、明治になってからは鳥尾家の邸内。関東大震災の頃に小石川高等女学校が開かれ、その後文華学園(現在は西東京市に移転)となり、現在は東京音大付属となっている。 大正昭和期に多くの女学生が歩いたこの坂が、その前は鉄砲場というギャップが面白い。
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