新壱岐坂(本郷)
壱岐坂を分断した新壱岐坂。 面白いのはどちらの説明板にも古い壱岐坂への同情めいた記述があることだ。 壱岐坂の説明板には、「この古い壱岐坂は、新しくできた広く大きな新壱岐坂に途中で分断される形となった」と書かれている。
この新しい新壱岐坂は東京ドームとラクーアの間の道の続きで、白山通りより東で本郷台地に上っていく。 坂上の東洋学園大学の前に説明板がある。 「大正12年(1923)の関東大震災の復興計画によって、新しく開かれた昭和の坂である。 この坂の中ほどにある東洋学園大学の脇で、この坂と斜めに交差している細い坂道がある。 「壱岐(殿)坂」という。 壱岐坂の水道橋寄りに小笠原壱岐守の下屋敷があったので、この名がついたと言われる。 江戸時代からあった古い坂である。 長い歴史のある壱岐(殿)坂の名を取って、この坂を「新壱岐坂」とした。 現在は、区内の幹線道路として広く知られるが、もとになった壱岐(殿)坂の名前は忘れられようとしている。」
なぜこうも江戸からの壱岐坂が廃れているというような表現をするのか、教育委員会の担当者?はこの分断をそれほど惜しんでいるのか。 そういう想像をしてしまう説明板である。 いくつかの文献を調べてみると、市販の地図にこの新壱岐坂を壱岐坂と記されているのをみて、忘れられているのではという感覚を持った知識人が多かったようだ。
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