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2017年10月18日 (水)

曙坂(白山)

福山坂下から富士見湯の前を進み最初の路地を右に入る。 路地は石垣に突き当たり北に向きを変える。 見事な本郷台地の崖である。 崖の高さは10m以上ある。間もなく東側に階段坂が現れる。 曙坂である。

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坂下の石碑は一見古そうだが、昭和22年とある。 この坂も戦後復興で整備された坂なのだろうか。 昔の写真を見ると土がむき出しになり、1m間隔で石の雁木が敷かれた坂だったようだが、その後今のコンクリート坂に改修された様子。 関東大震災前の地図をみるとこの道は既に開かれている。当時は凄い坂だったに違いない。

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坂上の説明板には次のように書かれている。 「『江戸砂子』によれば、今の白山、東洋大学の北西は、里俗に鶏声ヶ窪(けいせいがくぼ)といわれるところであった。 明治2年(1869)に町ができて、鶏声暁にときを告げるところから、あけぼの(暁と同じ)を取り町名とした。 この坂の場所と、旧曙町、鶏声ヶ窪とは少し離れているが、新鮮で縁起の良い名称を坂名にしたのであろう。

この坂は西片と白山を結び、人々の通学や生活に利用されてきた。 昭和22年(1947)には旧丸山福山町・曙会の尽力により石段坂に改修された。」

別名は徳永坂。 その由来はわからない。 坂上を北に進むと、誠之館(せいしかん)跡がある。福山藩が江戸詰めの藩士の子弟のために設けた藩校で、現在も誠之小学校(区立)として続いている。小学校としての歴史は140年だが、藩校は1855年の開校なので、さらに22年ほど前からここは学び舎だったわけだ。

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