鼠坂(小日向)
江戸時代の切絵図を見ると『子ツミサカ』と書かれている。 鳩山会館の北側、坂下は水窪川の跡、そこからいきなり階段坂がまっすぐに伸びる。 21mの高低差をほぼ真っすぐに登るため、ちょっとしたチャレンジに感じられるかもしれない。
坂の手すりは新しいものと古いものが混在、古いものは塗装した鉄製、取り換えられたものはステンレス製である。 こんな坂だが多くの人が登り下りしている。 人のいない写真を撮るのはなかなか難しかった。
江戸時代の坂下は鼠ヶ谷と呼ばれ、一種のスラム街のような場所で私娼も多くいたという記録がある。風来山人(平賀源内)は、この辺りの岡場所を「下品下生」と最低の評価を与えている。 江戸時代のこういう里俗な情報は実に面白い。
坂の途中には新しくなった平成17年(2007)製の説明板がある。
「音羽の谷から小日向台地へ上る急坂である。鼠坂の名の由来について『御府内備考』には「鼠坂は音羽五丁目より新屋敷へ上るの坂なり、至ってほそき坂なれば鼠穴などいふ地名の類にてかくいふなるべし」とある。
森鴎外は「小日向から音羽へ降りる鼠坂といふ坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云ふ意味で附けた名ださうだ・・・人力車に乗って降りられないのは勿論、空車にして挽かせて降りることも出来ない。車を降りて徒歩で降りることさへ、雨上がりなんぞにはむづかしい・・・」と小説『鼠坂』でこの坂を描写している。
また〝水見坂″とも呼ばれていたという。この坂上からは音羽谷を高速道路に沿って流れていた、弦巻川の水流が眺められたからである。」
途中で分岐する階段の脇道も面白い。 階段上のさらに先にも階段があり、車も来ないので、階段の間の区間では近所の親子がキャッチボールをしていた。 再び鼠坂の中腹に戻り、坂上を目指す。
坂上から振り返ると微妙に曲がっている。 この曲りが江戸の坂の特徴でもある。 昭和の坂のほとんどはまっすぐに通される。 ところが江戸時代の坂は、登山道のように通りやすいところにできるので真っすぐにはならない。 それが景色のアクセントにもなっているのである。
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