富坂(西富坂)
春日駅は谷合いの立地である。 東富坂(真砂坂)から下ってきた春日通りは、文京区役所を過ぎると上りに転じる。 区役所の前で東西を眺めるとどちらも上り坂。 昔の富坂は地下鉄丸ノ内線脇を下り(旧東富坂)、今の区役所辺りから礫川公園を通り、中央大学前のカーブで現在の道筋に繋がるのが昔の道筋だ。
「とび坂は小石川水戸宰相光圀卿の御屋敷のうしろ、えさし町より春日殿町へ下る坂、元は此処に鳶多して女童の手に持ちたる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と『紫の一本』にある。鳶が多くいたので鳶坂、転じて富坂となった。
また春日町交差点の谷(二ヶ谷)をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため飛坂ともいわれた。そして、伝通院の方を西富坂、本郷の方を東富坂ともいう。 都内に多くある坂名の一つである。
この近く礫川小学校裏にあった「いろは館」に島木赤彦が下宿し、〝アララギ″の編集にあたっていた。
坂上から眺めるとバブリーな文京区役所の形が独特である。 区役所、礫川公園、東京ドーム、後楽園ゆうえんちを含む南の一帯は、関東大震災辺りまで砲兵工廠(ほうへいこうしょう)だった。 ここで陸軍の武器を製造していたのである。 ドームや遊園地で楽しむ人々はそのことを九分九厘知らないだろう。
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