石坂(西片町)
文京区西片一丁目、昭和40年までの旧町名は田町。俗にいう丸山に属し、古くは菊坂田町と称した。一帯は昔、田畑と菊畑であったので菊坂田町。寛永5年(1628)御中間方拝領地となり、元禄9年(1696)頃町屋が開かれた。この田町という旧町名は白山通り西片から菊坂下までの狭い地区の地名である。そこから備後福山藩中屋敷のある台地に上って行く坂が石坂である。
坂の途中に説明板がある。「町内より南の方(かた)、本郷田町に下る坂あり、石坂とよぶ」『新撰東京名所図会』この坂の台地一帯は、備後福山藩(11万石)の中屋敷を幕府の御徒(おかち)組、御先手組の屋敷であった。
明治以降、東京大学が近い関係で多くの学者、文人が居住した。田口卯吉(経済学者・史論家)、坪井正五郎(考古学・人類学者)、木下杢太郎(詩人・評論家・医者)、上田敏(翻訳者・詩人)、夏目漱石(小説家)、佐佐木信綱(歌人・国学者)、和辻哲郎(倫理学者)など有名人が多い。そのため西片町は学者町といわれた。
福山藩阿部家は明暦の大火の別説の火元の老中屋敷である。明治になってから6万坪の屋敷の内、1万坪を自宅に残して、後を貸地として公開した。それで学者たちが平均百坪程度づつ借りて住むようになった訳である。
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