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2017年10月11日 (水)

見送り坂と見返り坂(文京区本郷)

菊坂の坂上は本郷通りにぶつかる。 菊坂はもともとは川筋で、本郷通りのこの辺りはその源頭にあたる。 菊坂と並行した路地があるがもとは川である。 そんな地形を意識して、本郷三丁目交差点近くに立つと、先も後ろも上り坂になっているのに気づく。

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湯島方面を遠望するとわずかに上り坂になっている。 菊坂の出合いの所が一番低い。 そして、東大赤門方面を見るとこちらも緩やかな上り坂。

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脇にある説明板には次のように書かれている。

別れの橋跡・見送り坂と見返り坂

 

「むかし太田道灌の領地の境目なりしといひ伝ふ。その頃追放の者など此処より放せしと・・・・・・いずれのころにかありし、此辺にて大きなる石を掘出せり。是なんかの別れの橋なりしといひ伝へり・・・・・・太田道灌(1432~86)の頃罪人など此所よりおひはなせしかばここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや」と『改撰江戸志』にある。
 この前方の本郷通りはややへこんでいる。むかし、加賀屋敷(現東大構内)から小川が流れ、菊坂の谷にそそいでいた。『新撰東京名所図会』(明治40年刊)には、「勧業場所、一条の小渠(しょうきょ)、上に橋を架し、別れの橋といひきとぞ」とある。
 江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂(本郷3丁目寄)で、親類縁者が涙で見送ったから 見送り坂。追放された人が ふりかえりながら去ったから見送り坂といわれた。
 今雑踏の本郷通りに立って 500年の歴史の重みを感じる。」

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江戸を追放された者がこの別れの橋で放たれ、南側の坂で親類縁者が見送ったから「見送り坂」。 追放された人が振り返りながら去ったから「見返り坂」という呼び方は風流かつ叙情的ないい呼び名である。

交差点近くの小間物屋かねやすは享保年間の創業からおよそ300年営業している。 江戸時代の川柳には、「本郷も かねやすまでは 江戸の内」という句があり、そこいらの江戸末期の老舗がかすんで見える。 創業当初、歯科医の兼康祐悦が売り出した乳香散(歯磨き粉)が大流行した話がある。 現在は洋品雑貨を扱っている。

追記:2017年にかねやすは閉店してしまった。 2017年4月にはもうシャッターが下りていたので、その少し前だろうか。享保年間(1716~1736)から300年、こういう本物の老舗が亡くなるのはとても寂しい。江戸川柳にも「本郷もかねやすまでは江戸の内」とまで詠まれた店だったのに、この場所は落ち着いたと言えども坪450万ほどの評価、年間の固定資産税も数百万になるので、細々と商売を続けるなんてできなかったのだろう。

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