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2017年10月22日 (日)

今井坂(小石川)

坂下は巻石通り(神田上水)、坂上は春日通りの竹早高校近くで、春日通りが小石川の背骨にあたる筋を走っているので、坂上の標高が25m、坂下が7mとかなりの高低差がある。 しかし辺りの地形は2段階の河岸段丘なのでそれほどの急坂には感じない。
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巻石通りから入るとすぐに金富小学校。 明治41年(1908)の開校。小学校の前に坂の説明板が立っている。 今井坂の別名は新坂。
「『改選江戸志』には、「新坂は金剛寺坂の西なり、案に此坂は新に開けし坂なればとてかかる名あるならん、別に仔細はあらじ、或はいふ正徳の頃(1711~16)開けしと、」とある。新坂の名のおこりである。
今井坂の名のおこりは、『続江戸砂子』に、「坂の上の蜂谷孫十郎殿屋敷の内に兼平桜(今井四郎兼平の名にちなむ)と名づけた大木があった。これにより今井坂と呼ぶようになった。」とある。
この坂の上、西側一帯は現在国際佛教学大学院大学になっている。ここは徳川最後の将軍、慶喜が明治34年(1901)以後住んでいたところである。 慶喜は自分が生まれた、小石川水戸屋敷に近いこの地を愛した。 慶喜はここで、専ら趣味の生活を送り、大正2年(1913)に没した。 現在、その面影を残すものは、入口に繁る大公孫樹(おおいちょうのき)のみである。」
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この仏教学大学院大学の敷地は江戸時代は大久保長門守の下屋敷であった。 大久保家は静岡県の小大名で江戸中期は沼津市松永の領主(11,000石)、その後神奈川厚木に国替えし、厚木市荻野あたりを治めた。 またさらに昔はこの辺りは中世の城が築かれていたという話もある。
 

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