東富坂(真砂坂)
東富坂は新しい坂である。 元の旧東富坂には路面電車を通すことが出来ず、明治時代末期に春日通りとして新道を開設した。 今は大通りで、広々とした坂を多くの車が上り下りする。
「東富坂(真砂坂) 本来の東富坂は、この坂の南を通る地下鉄丸ノ内線に沿った狭い急坂である。 現在は「旧東富坂」と呼んでいる。 もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」といい、いつの頃からか富坂と呼ぶようになったという。
現在の東富坂は、本郷三丁目から伝通院まで、路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いたゆるやかな坂である。 この市電は、1908年(明治41年)4月11日に開通した。 現在文京区役所を挟んで反対側にある坂を、「富坂(西富坂)」と呼び区別している。」
坂の北側には江戸時代は松平右京亮の中屋敷があり、辺りは右京ヶ原と呼ばれた。 小説『姿三四郎』の決闘の場面になった舞台の原っぱである。 実は坂下の春日町を少しだけ水道橋方面に行くと講道館がある。
別名の真砂坂は単純に真砂町にある坂道というだけの意味である。
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