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2017年11月20日 (月)

簸川坂(小石川)

網干坂の西側に簸川神社(氷川社)がある。 江戸切絵図には湯立坂から下ると千川に祇園橋が架かっていてそれを渡ると神社の参道になる。 境内には宗慶寺別當とある。 氷川神社の方が古いので、江戸時代の名所だった氷川神社の参詣客を宗慶寺が狙って分院を建てたかどうかはわからないが、そんな想像もできるほど簸川神社は賑わっていた。

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簸川坂は氷川神社の裏口にあたる道筋で、境内を抜けて坂上に出ることができる。 説明板は簸川神社と簸川坂の両方を兼ねたものだった。

・簸川神社:社伝によれば、当神社の創建は古く、第五代孝昭天皇のころと伝えられ、祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。源頼家(1039~1106)が奥州平定の祈願をした社といわれ、小石川・巣鴨の総社として江戸名所の一つであった。もとは現在の小石川植物園の地にあった白山御殿造営のため、元禄2年(1699)この地に移された。社殿は空襲で焼失したが、昭和33年(1958)に再建された。(後略)

・簸川坂(氷川坂):氷川神社に接した坂ということでこの名がつけられた。 氷川神社の現在の呼称は簸川神社である。坂下一帯は明治末頃まで「氷川田んぼ」といわれ、千川(小石川)が流れていた。洪水が多く、昭和9年(1934)暗渠が完成し、「千川通り」となった。神社石段下には千川改修記念碑がある。

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網干坂よりも急角度の坂である。簸川神社の裏手から一気に落ちるような下り坂は、悪天候時は難儀しそうだ。 大正時代、坂下は昔たんぼを埋め立てた後中小の工場が集まる町になった。 その後町屋に変わっていった。

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坂下を複雑に流れていた千川。 そのほとりにあった工場の一つであった「太田胃散」の本社がある。 私は太田胃散は薬の名前だと思っていたが、ここを訪れて初めてそれが社名でもあることを知った。

坂上には林町小学校があるが、これは江戸時代簸川神社の裏手が林大学頭の下屋敷だったため、林町と呼ばれていた地名の名残である。 小学校の名前にみる貴重な昔の町名がうれしい。

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