藤坂(小日向)
蛙坂下の地下鉄車庫のトンネルの辻は面白い。 下の写真の右手線路沿いの道が蛙坂下、まっすぐに抜けるトンネルの先が藤坂、左のトンネルを抜けると釈迦坂。 そして、後ろには拓殖大学前から上る茗荷坂がある、四方向の坂の辻にあたるトンネルである。
藤坂はトンネルを抜けた先、丁字路を左に曲がると春日通りへ上る急坂がある。 勾配標識は20%とある。勾配の単位はいろいろあって面倒くさい。 20%というのは角度だと11.3度になる。鉄道などだと1000m走って200m高度を上げる(100mで2mでも同じ)のが20%と同じ角度である。
坂下の東側に傳明寺がある。江戸時代の切絵図には「藤寺ト云傳明寺」と書かれているので、相当昔から傳明寺は藤寺と呼ばれていたようだ。 坂下に説明板がある。
「藤寺は箪笥町より茗荷谷へ下るの坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』) 藤寺とは坂下の曹洞宗傳明寺である。
『東京名所図会』には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田辺御放鷹(はなしたか:鷹狩りのこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立寄り、庭に一面藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺とよぶようになった。
昔はこの坂から富士山が望まれたので、富士坂とも言われた。
『続江戸砂子』に、「清水谷は小日向の谷なり、むかしここに清水が湧き出した」とある。またここの傳明寺には名木の藤あり、一帯は湿地で、禿(かむろ:河童)がいて、禿坂とも言われた。
現在は富士山など見えようもない。またこの谷が「茗荷谷」なのか「清水谷」なのかもわからない。そして家光が感動したという藤の木も今はない。 しかし、元は富士坂と呼ばれていたのが、樹木が繁って富士山が見えなくなったので、寺の藤の木に転化して藤坂と呼ぶようになり、家光の逸話は後で作られた可能性もありそうだ。
坂上の春日通りを渡った向こう側は桜の名所播磨坂である。
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