伊賀坂(白山)
指ヶ谷の地名は昭和41年の町名変更で消えたが、指ヶ谷小学校の名前に残っているのは嬉しい事である。3代将軍家光が鷹狩りに来て、「あの谷も遠からず人家が出来るであろう。」と指し示したことから、指ヶ谷の地名が出来たという。 子供が少なくなり小学校が消えると地名も消える、そんな場所が東京にはいくつもある。
その指ヶ谷小学校の前を上るのが伊賀坂である。 小学校の校門脇に説明板がある。
「白山台地から白山通りに下る坂で、道幅は狭く、昔のままの姿を思わせる。 この坂は武家屋敷にちなむ坂名の一つである。 伊賀者の同心衆の組屋敷があった(『御府内備考』)とか、真田伊賀守屋敷があった(『改撰江戸志』)という二つの説がある。 『東京名所図会』では真田伊賀守説をとっている。 伊賀者は甲賀者と共に、大名統制のための忍者としてよく知られている。」
小学校の上で複雑な交差をするが細長い民家の東側の道が昔の伊賀坂筋である。 周辺は傾斜地で昔は石垣も多い曲がりくねった道だったようだが、今では明るい雰囲気になっている。戦前は小学校の裏まで細川邸の屋敷が広がっていたことからも、緑の多い薄暗い雰囲気だったことが想像できる。
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