御殿坂(文京区白山)
蓮華寺坂の坂上をそのまま南西に進むと下り坂になると同時に西側に樹木が生い茂った小石川植物園が見えてくる。 小石川植物園の敷地は江戸の初期、館山藩主松平徳松の屋敷だったが、5代将軍綱吉の頃、南麻布にあった御薬園が廃止され、この地に移転(1684)。 8代吉宗の時にほぼ今の敷地に拡大された。現在は東京大学の施設となっている。
上の写真は2010年のもの。 万年塀と人ひとりがやっとの隙間の歩道だったが、数年後に再訪すると、道路幅は広げられとても歩きやすい道になっていた。 ただ、江戸の坂の雰囲気はいささか失われたように感じられた。
ただ、坂の説明板だけは昭和のものがそのまま使われていて、ちょっと意外な気がした。その説明板には次のように書かれている。
「別名、大坂、富士見坂。「御殿坂は戸崎町より白山の方へのぼる坂なり。この上に白山御殿ありし故にこの名遺れり。むかしは大坂といひしや」(『改撰江戸志』)
「享保の頃、此坂の向ふに富士峰能く見へし故に、富士見坂ともいへり」(『江戸志』)
白山御殿は、5代将軍徳川綱吉が将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので、白山御殿といわれ、また地名をとり小石川御殿ともいわれた。綱吉の将軍職就任後、御殿跡は幕府の薬園となった。享保7年(1722)園内に“赤ひげ”で有名な小石川養生所が設けられた。また同20年には、青木昆陽が甘薯の試作をした。明治になってからは東京大学の付属植物園となった。」
きれいにはなったが、うっそうとした林の脇の道の方が坂道の情緒は高まる。 とはいえ坂上標高23m、坂下が9mで14mの高低差を緩やかなカーブを描きながら下るこの坂のかたちは素晴らしいものがある。
綱吉の白山御殿の水は千川上水が引かれていた。 玉川上水を吉祥寺の先で取水して、ここまで引き、さらに浅草周辺まで潤していた。 江戸の開発の歴史は水道の歴史である。
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