猫又坂(千石)
千川通りと不忍通りの交差点、千石三丁目は千川が刻んだ谷筋の辻である。 千川は蛇行していたが、猫又橋の場所は交差点から北東に50mほどの路地筋だった。 千川通りに並行したこの路地はくねくね曲がった道でいかにも暗渠だということがわかる道である。
上の写真は大塚窪町公園前から猫又橋方向を見たもの。 いったん千石通りに窪み、その向こうで斜面を登るように続く不忍通りの景色である。かつてはこの道筋を都電が走っていた。 なかなか素敵な景色だっただろう。
猫又橋のあった場所には親柱の袖石が残っている。説明板がある。
「この坂下にはもと千川(小石川とも)が流れていた。 昔、木の根っ子の股で橋を架けたので、根子股橋と呼ばれた。江戸の古い橋で、伝説的に有名である。この辺りに狸がいて、夜な夜な赤手ぬぐいをかぶって踊るという話があった。ある夕暮れ時、大塚辺の少年僧がこの橋の近くに来ると、草の茂みの中を白い獣が追ってくるので、すわ狸かと慌てて逃げて千川にはまった。 それからこの橋は、猫股橋(猫又橋)といわれるようになった。 猫又は妖怪の一種である。
昭和の初めまでは、この川でどじょうを獲り、蛍を追って稲田(千川たんぼ)に落ちたなど、古老がのどかな田園風景を語っている。 大正7年3月、この橋は立派な石を用いたコンクリート造となった。ところが千川はたびたび増水して大きな水害を起こした。それで昭和9年千川は暗渠になり、道路の下を通るようになった。石造りの猫又橋は撤去されたが、地元の故市川虎之助氏はその親柱と袖石を東京市と交渉して自宅に移した。ここにあるのは袖石の内2基で、千川名残の猫又橋を伝える記念すべきものである。(後略)」
大通りの坂道ではあるが、千川通り付近の曲がり方も含めていい坂である。 猫又橋の脇に猫又坂の説明板もある。
「不忍通りが千川谷に下る(氷川下交差点)長く広い坂である。現在の通りは大正11年(1922)頃開通したが、昔の坂は、東側の崖のふちを通り、千川にかかる猫又橋につながっていた。この今はない猫又橋にちなむ坂名である。」
上の写真の歩道の右、ガードレールわきの細い隙間の坂がかつての猫又坂の上部の名残である。 電車道が開かれる以前はこの右の細い部分が猫又坂だった。
この坂の一番の景色はこの脇の名残道の上からの遠景だと思う。 100年ちょっと前は電車道もなく、人だけが通れる狭い道が台地の上に向かって続いていた。その上から猫又橋の谷を見下ろす感じに近いのではないだろうか。
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