砂利場坂(千石)
猫又坂と宮坂の間にある坂道。 途中折れるように曲がっているが、それ以外はほぼまっすぐな道筋である。本郷台地と小石川台地の間に流れていた千川に向かって、この辺りは崖筋になっていた。
文京区が発行している「ぶんきょうの坂道」に記述がある。もとは伝通院の領地だったが、護国寺造営の時に、砂利をここの斜面で取っていた。 それ以降は30年ほど荒れ地になっていたが、享保の頃(1716~1735)地主たちが護国寺より拝領して開墾し、新田という地名になった。
その後、明治以降になってもこの辺りは崩れやすい斜面だったようで、当時東京市に住民が願い出て道路普請をしたと伝えられる。 その道がこの砂利場坂である。明治大正にかけてもこの辺りの斜面は川崎家ほかの大きなお屋敷だったが、今はマンションと小型の住宅が立ち並ぶ。 坂下で交差する路地は曲がりくねっているが、その道が千川の暗渠跡である。
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