庚申坂(小石川)
切支丹坂と相対する坂道。 地下鉄丸ノ内線の車庫から春日通りに上る。 茗台中学校の脇に出る階段坂である。 茗台中学校は1960年の創立で新しい学校。 しかしこの場所はかつて小石川高等小学校があった場所である。 明治41年(1908)に創立、昭和22年(1947)に廃校となっている。その後校舎は「小石川工業高校」「小石川高校」となったが、今は再び茗台中学校となり、最初の高等小学校とほぼ同じ年齢の子供たちが集う場所になった。
「小日向第六天町の北、小石川同心町の界を東より西へ下る坂あり・・・略・・・この坂を切支丹坂というは誤りなり、本名“庚申坂”。昔、坂下に庚申の碑あり・・・」『東京名所図会』
庚申信仰は庚申の日(60日ごと)人が眠ると三尸(さんし)の虫が人の体から出て、天にのぼり、天帝にその人の罪を告げるというところから、人々は一晩中夜明かしをした。この信仰は中国から伝わり、江戸時代に盛んになった。したがって切支丹坂はこの坂の地下鉄ガードの向側の坂のことである。
「・・・両側の藪の間を上る坂あり・・・これが真の切支丹坂なり」『東京名所図会』
この坂の坂上から下ると丸の内線が往来するのが見られ、坂下ではトンネルをくぐって切支丹坂に抜ける。 地下鉄の下のトンネルというのはなんとも不思議な感覚である。
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