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2017年11月18日 (土)

湯立坂(文京区小石川)

茗荷谷駅前の春日通りから筑波大学東京キャンパスの方へ入ると、キャンパス沿いに下る長い坂が湯立坂です。 筑波大キャンパスには大学の施設と付属小学校と文京区民センターがあります。 キャンパス内でかなりの高低差があり、茗荷谷駅側は標高28m、裏手の占春園は11m。 当然それに沿って下る坂道も長い坂です。

湯立坂の別名は湯坂で、暗闇坂とも呼ばれたようです。坂は谷を挟んで網干坂と対峙しています。

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坂上のキャンパス脇に標柱がありました。

「里人の説に往古はこの坂の下は大河の入江にて氷川の明神へは川を隔てて渡る事を得ず。故に此所の氏子とも此坂にて湯花を奉りしより坂のなとなれり。」

と書かれています。湯花というのは、湯を沸騰させたときに上がる泡のことで、神社で巫女がこれを笹の葉につけ、参詣人にかけ清めるのです。この儀式を湯立といいます。

私はてっきり、ここで一服と湯を沸かして茶を飲んだくらいに思っていたのですが、どうも神事のようです。

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筑波大は元は東京教育大。 今はつくば市のキャンパスが主体なので、茨城の大学のようですが、本来は東京の大学だったのです。政府の閣議決定でつくばを研究都市にするために移転したのがいきさつでした。 この場所は江戸時代、松平大学頭(陸奥国守山2万石)の上屋敷だったところです。 大学頭が大学になったわけですね。

坂下の窪町東公園前から東に上る坂があり、地元ではかつてこの坂を幽霊坂と呼んでいたらしいのです。 こちらの坂も曲がりながら上っていくいい坂ですが、幽霊坂の資料がなくとりあえず写真だけということで。(下の写真)

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坂下の公園や交差点に残る「窪町」の地名。 ただし窪町小学校は坂上の茗荷谷駅前にありますが、1966年の町名変更で東京教育大周辺は大塚窪町から大塚3丁目になってしまいました。 大塚窪町は現在の小石川5丁目の一部までを含んでいた旧町名です。

坂下西の占春園は水戸光圀の弟である松平頼元がここに屋敷を構えたところ。頼元の子が頼貞で後の松平大学頭。 その親子時代の大名屋敷庭園の名残です。江戸時代はホトトギスの名所でもありました。 坂下の千川あたりの湿地には蛍も多くいたと伝えられています。

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