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2017年12月10日 (日)

薬罐坂(目白台2丁目)

ユーミンが松本隆から作曲を依頼された際に、自分の名前を出さない条件で受けた折の作曲者名が呉田軽穂だった。 そのペンネームのモチーフはハリウッド女優のグレタ・ガルボ(Greta Garbo)だった。 しかしよく似た名前が日本の歌人にいる。 その名前は窪田空穂(くぼたうつぼ)である。 クレタ・ガルボよりも30年ほど前の時代の人だが、私はユーミンは窪田空穂も意識していたのではないかと想像している。

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窪田空穂の話を出したのは、この薬罐坂の上に彼が住んでいたからである。 薬罐坂の別名は夜寒坂。 坂の途中に説明板がある。

「江戸時代、坂の東側は松平出羽守の広い下屋敷であったが、維新後上地され国の所有となった。現在の筑波大学付属盲学校一帯にあたる。 また、西側には広い矢場があった。 当時は大名屋敷と矢場に挟まれた寂しい所であったと思われる。

やかん坂のやかんとは、野猂とも射犴とも書く。 犬や狐のことをいう。 野犬や狐の出るような寂しい坂道であったのであろう。 また、薬罐のような化け物が転がり出た、とのうわさから、薬罐坂と呼んだ。 夜寒坂のおこりは、この地が「夜さむの里道」と、風雅な呼び方もされていたことによる。

この坂を挟んで、東西に大町桂月(1869~1965、評論家・随筆家)と、窪田空穂(1877~1967、歌人・国文学者)が住んでいた。 (後略)」

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薬罐坂を下ると不忍通りに出る。 東へ行くと護国寺だが、広い不忍通りの南北に斜めに接する細道がある。 どちらも江戸時代からの道で、清戸坂から護国寺へ繋がっていたのが北側の平坦な方の道。 南側の少し坂になった道は筑波大学付属盲学校にぶつかり、南に折れると東大病院分院跡沿いに三丁目坂の上に出る。

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