神明坂(本駒込)
本駒込5丁目の不忍通りの坂で、東京都の説明板が立っている。 「このあたりは、旧町名を駒込神明町といった。駒込の総鎮守の天祖神社(旧称神明社)にあやかったものである。現在この坂道は通称不忍通りにあるが、道路の開設は新しく、大正11年である。町内の坂ということで神明坂と名づけられた。大正の坂、東京の坂である。」
神明坂は駒込稲荷坂下から、本郷通りとの交差点である上富士前までをゆったりと上り、本駒込5丁目交差点あたりが最も傾斜を感じられる。 江戸時代は駒込村、明治24年(1891)に東京市に編入され、駒込神明町となった。
坂下の駒込稲荷坂下にある文京区の施設が集約した一角は、昭和時代は神明町都電車庫だった。 停車場は「神明町車庫前」。 そのため敷地の神明都電車庫跡公園には懐かしの都電の電車と貨物車が展示されている。
坂上の上富士前交差点は駒込富士神社に由来する。 ここの富士神社は社殿が富士を模した山の上に建てられている。 この富士は、駒込の名主が天正元年(1573)に本郷の地に富士浅間社を勧請したのが起こり。 江戸幕府になり、本郷の地が加賀藩屋敷となると、寛延6年(1629)に浅間社はこの地に移された。 一説によると、移転前からこの地にはこのこんもりとした山があり、古墳だったとも言われる。 ただしここの富士塚は江戸の七富士には含まれていない。
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