幽霊坂(女子大)
目白通り日本女子大の西側の路地、豊坂から見ると目白通りを渡った道の続きが幽霊坂である。 和敬塾脇を下る路地も幽霊坂だったが、こちらはもっと古く、江戸時代からの幽霊坂。 江戸切絵図にもこの路地があり「ユウレイサカ」と書かれている。
幽霊坂は清戸坂に向かって緩やかに下っていく。 東側の塀は日本女子大、かつては西側に本住寺がありこの辺りはその墓地だった。 幽霊坂という名の坂は東京に数か所あるが、墓地の傍が多い。 暗闇坂や三年坂も同じく墓地や寺院のある所につけられた名前。ただ近くにある和敬塾の幽霊坂は近年地元で呼ばれるようになったもので由来は違う。
坂下から見上げると西側のマンションが影を暗くしているが、かつては墓地の幽霊坂側には竹垣があり、竹の間から墓地が見えたという。 坂の別名を遊霊坂ともいう。 東側の日本女子大は明治34年(1901)に成瀬仁蔵によって創立された。 江戸時代は旗本屋敷が数軒並んでいた。
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