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2017年12月18日 (月)

大給坂(千駄木)

千駄木辺りの坂は坂上の薮下通りと坂下の不忍通りを結ぶ坂道が殆どである。 須藤公園(旧須藤邸)の上は旧町名では駒込林町、元は雑木林の千駄木山の一部で、千駄木御林と呼ばれた土地。 「御林」というのは、この辺りは上野寛永寺の所領で、ここから将軍家霊廟の材木を供給したからである。 町屋になってきたのは延享3年(1746)以降。 江戸の半ばまではこの辺りはほとんど武蔵野の山林だったわけである。

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大給坂は明治の地図には道筋が見えない。まばらな町屋はあったようだが、概ね崖線は雑木林で谷は田んぼだった。 それが大正時代にはかなり町屋が広がっているので、坂下は急速に発展した様子。

坂名の由来は、坂上にかつて子爵大給邸があったことによる。 大給家は戦国時代三河の国の豪族で、徳川家に仕えた。 現在坂上の児童公園に残っている大銀杏は大給邸の中にあったものだった。

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団子坂上から動坂上を結ぶ坂上の道筋は古くからある薮下通り(通称本郷保健所通り)。 大給坂を上り、薮下通りに出たところに高村光太郎夫妻が住んでいた。

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