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2017年12月24日 (日)

清水坂(上野)

上野の地名の由来については諸説あるが、地形からくるものが有力で、縄文海進時代は上野台地の突端の上野は自然の岬で、御徒町あたりまで入江だったため、低地を下谷、台地を上野と呼んだのが起こりと言われる。

徳川が江戸に入り、天下統一後江戸を開発する折、家康・秀忠・家光が帰依していた天台宗の天海に寛永8年(1622)に創建させたのが寛永寺。 年号をとって寺名とした。 京都を意識して、山号を比叡山に模して東叡山とし、不忍池を琵琶湖に見立てて、清水観音堂も建立した。

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その清水観音堂に不忍池側から上がる階段が清水坂(きよみずざか)である。階段脇に標柱が立っている。

「この石段坂を「清水坂」という。 坂の上には東叡山寛永寺清水観音堂があり、坂の名はその堂の名称に因む。 清水観音堂は寛永8年(1631)に京都の清水寺を模し摺鉢山の上に創建され、元禄7年(1694)に現在地へ移転した。国の重要文化財に指定されている。」

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階段の段数は31段。 昔、この階段下にあったという黒門には上野戦争(明治維新の前の彰義隊の幕府軍と薩長の新政府軍の戦い)の際の弾痕などが生々しく残っていたが、明治40年(1907)に荒川区の円通寺に移築され現存する。

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