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2017年12月14日 (木)

異人坂(根津)

明治の中頃になり、東大の間を抜ける現在の言問通りが根津方面につながると、向ヶ岡と弥生町は住宅開発が進んだ。 ただし本郷台地の東の崖線なので、地形は複雑で道も同様だった。 人がある程度住むようになったのは明治末期から大正時代に入る頃だったようだ。

そんな複雑な地形なので、異人坂のアプローチはいささかわかりにくいが、不忍通りの根津駅の1本目の路地を入ればいい。 その先の右手には根津小学校があるが、ここは直進すると目の前に坂が現れる。

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明治期の地図にはこの道はない。 崖線らしき緑地があるのみである。 坂の途中に説明板がある。

「坂上の地に明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人はこの坂を通り不忍池や上野公園を散策した。当時は外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうとなく、外国人が多く上り下りした坂なので、異人坂と呼ぶようになった。

外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。異人坂を下りきった東側に、明治25年(1892)高林レンズ工場が建てられた。今の2丁目13番付近の地である。その経営者は朝倉松五郎で日本のレンズ工業の生みの親である。」

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坂上の欄干には昭和初期の施工者の名前が彫られているが、坂との関係はわからない。 ただ、この坂上の道は明治初期からあった道らしい。 崖線の上下を繋いだ坂らしい景色である。

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