紅葉坂(谷中)
紅葉坂は谷中墓地の天王寺門前から線路側に下る。 あるいは日暮里駅南口を崖上に進む。この日暮里駅南口がちょっと変わっている。 日暮里の駅前ロータリーから南口は認識できない。 消防署の南側に歩道橋のような階段があり、これを上ると日暮里駅南口、その先が紅葉坂になる。
日暮里駅南口から紅葉坂方向へ行く人は普段はほとんどいない。跨線橋の先の突き当りを左に曲がると石垣と階段が現れる。これが紅葉坂だ。 江戸時代の切絵図には書かれていないが、坂の命名は江戸時代なので、当時の紅葉坂と現在の紅葉坂がどれくらい重なるのかはわからない。
「坂道周辺の紅葉が美しかったので「紅葉坂」と命名されたのだろう。別名「幸庵坂」ともいった。その命名由来は不詳。江戸後期の国学者、山崎美成(よししげ)は「金杉日記」に、「天王寺うら幸庵坂下、又三しま社のほとり秋色尤もふかし、林間に酒を煖む」と記している。この記事によると、幸庵坂の名は江戸時代すでにあったことが知られる。」
幸庵坂は紅葉坂の別名。 大正時代までは御殿坂が崖に沿って南に曲がり、その先で紅葉坂の坂下と出合っていた。 今は線路わきの通路程度に水平な道があるが、それに近いルートだったようだ。
天王寺には墓地の交番の所に五重塔があった。江戸時代初期に建てられたが明和の大火(1772)で焼失、20年後に再建された。 戦火も乗り越え、東京で最も高い五重塔だったが、昭和32年(1957)に心中放火で焼失した。 財源の問題でいまだに再建はされていない。 空しく礎石が残るのみである。
写真: 2016/5/6
加筆: 2018/12/6
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