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2017年12月30日 (土)

芋坂(谷中)

谷中霊園と日暮里を結ぶ道は御隠殿坂、芋坂、紅葉坂、御殿坂(下御隠殿橋)の4つ。 車が通れるのは御殿坂のみである。 芋坂は王子街道にある善性寺門前から入る。その善性寺門前の芋坂入口には文政2年(1819)に創業した藤の木茶屋(現在の羽二重団子)がある。ただし羽二重団子は2017年現在ビルの建て替え中であった。建て替え前角には王子街道の石碑が立っていた。また路地に入ったところに荒川区の立てた説明板があった。

羽二重団子の店には多くの逸話がある。上野戦争で新政府軍に追われた彰義隊が芋坂を下り、数名がこの店に侵入し変装したという話や、夏目漱石の『吾輩は猫である』の文中にも、芋坂へ行って団子を食うというという話が出ている。200年もやっていると、いろんなことがあるものだ。

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<荒川区の説明板>

善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。 坂名の由来は未詳。 明治15年ころ、日本鉄道会社の東北線(現JR)が通じて分断され、その形状が失われてしまった。  伊東晴雨が描いた「根岸八景」の「芋坂の晩鐘」は、天王寺の五重塔を望む芋坂ののどかなたたずまいをよくあらわしている。

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芋坂跨線橋も一見御隠殿坂と見間違えそうだが、よく見ると階段の真ん中に手すりとスロープがない、鉄道との間のフェンスが異なる、橋が芋坂の方は直線で御隠殿坂は曲がっている。 ここもかつては踏切だった。

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跨線橋を渡ると緩やかな坂が墓苑に向かって続いている。その先に台東区の立てた標柱がある。

<台東区の標柱>

坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺へ通じていた。鉄道線路でカットされ、これに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名付られて、わずかにその名を残している。坂名は伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石,田山花袋の作品にもこの芋坂の名が書かれている。

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跨線橋の脇に子供の遊び場に下る曲がった坂がある。古い地図を見ると昭和30年代までここには踏切があり車道が通っていたようである。しかし坂関連書物では明治15年に鉄道が敷かれて以来跨線橋になったと書かれている。真相はよくわからない。

写真: 2016/5/6

加筆: 2018/12/7

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